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本能を呼び覚ますこのコードに、君は抗えるか

AI時代の新たな疲労:なぜ私(たち)は『説明のつかないしんどさ』を抱えているのか

しんどくなったので説明した。良くなるかもしれないし悪化するかもしれません。

はじめに

私たちは常に「強くあること」を求められている。生成AIよりも成果を出すことを求められている。

かつては人間同士の競争だった。同僚より早く仕事を終わらせ、他社より良い製品を作り、去年の自分を超えることが目標だった。しかし今、比較対象は常時稼働し、瞬時に大量のアウトプットを生成し、日々賢くなっていくAIになった。「毎年成長し続ける」「常に結果を出す」「社会の変化に乗り遅れない」という従来のプレッシャーに加え、「AIより価値のある仕事をする」という不可能に近い要求が加わった。

朝、デスクに向かう。スマホには新しいAIツールのリリースニュースが並ぶ。コーヒーを飲みながら思う。「来年のAIなら、この仕事を何分で終わらせるんだろう」と。この問いに答えはない(そして意味もあまりない)。確実に言えることは来年のAIは、今年のAIより確実に賢くなっているのだから。

この新たな競争の中で、多くの人が説明のつかない「しんどさ」を抱えている。「ちゃんとした社会人or エンジニア」として頑張っているはずなのに、自分が自分でなくなっていくような感覚にとらわれている。AIが瞬時に生成できるコードを何日もかけて書いている自分。AIが即座に答えを出す問題で悩んでいる自分。そんな自分に価値があるのかという問いが、心の奥底で響き続ける。

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AI疲れという新たな現象

現代社会が個人に課す「強さ」への過剰な期待は、組織で働く人々に深い疲労感をもたらしている。成長至上主義、時間の効率化への強迫観念、能力主義の弊害――これらが複雑に絡み合い、私たちの働き方と生き方を息苦しいものにしている。

さらに最近では、「AI疲れ(AI fatigue)」という新たな疲労が職場に蔓延している。@t_wadaさんがとても良い分類を出しているのでここに従う。AI疲れとは、AIの絶え間ない進歩のペースに対応しようとすることで生じる、精神的・感情的・業務的な消耗状態を指す。この現象は単一の原因ではなく、複数の要因が絡み合って生じている。

まず、技術的な複雑さと継続的な変化がもたらす疲労がある。GitHub Copilotのような補完型から、ChatGPTのような対話型、そして自律的にタスクを遂行するClaude Codeのようなコーディングエージェントへ――この急速な進化は、学習と適応の終わりなきサイクルを生み出している。研究者は新しい論文を統合するために絶えず自分の研究を更新し、エンジニアチームは新モデルがリリースされるたびにシステム全体を更新する無限のスプリントに追われる。

次に、AIの処理速度と人間の処理能力のミスマッチによる疲労がある。AIが瞬時に大量のアウトプットを生成する一方で、人間はそのすべてをレビューし、判断し、統合しなければならない。これは「人間がボトルネックになる」という新たな現象を生み出し、休みなく高頻度で判断が迫られ続ける状況を作り出している。

決定疲労(Decision Fatigue)も深刻な問題だ。AIが提供する無数の選択肢や提案から、人間が最終的な判断を下し続けなければならない。これは従来の「作業疲労」とは質的に異なる、認知的な消耗をもたらす。朝から晩まで「このAIの提案は正しいか」「どの選択肢を選ぶべきか」という高度な判断を迫られ続ける。誰かが言った。「AIのおかげで単純作業から解放されたと思ったら、今度は判断作業の奴隷になった」と。

さらに、期待と現実のギャップが組織全体に失望と疲労を蓄積させている。「AIが全てを解決する」という過大な約束と、実際の導入で直面する困難との間に大きな溝がある。プルーフ・オブ・コンセプトの失敗、期待された成果の不達成、投資に見合わないリターン――これらが「AI疲れ」を増幅させる。

情報過負荷も無視できない。AIに関する情報――新しいツール、ベストプラクティス、倫理的考慮事項、セキュリティ上の懸念――が洪水のように押し寄せ、何が本当に重要なのか判断することすら困難になっている。

そしてプラスして根底には、職務置換への恐怖がある。多くの労働者、特に若年層が、AIによって自分の仕事が陳腐化することを心配している。この恐怖は、AIを使わなければ「遅れている」と見なされ、使えば自分の仕事がなくなるかもしれないという、逃げ場のないジレンマを生み出している。

AIが映し出す人間の「弱さ」の本質

このAI疲れは、既存の成長至上主義と結びついて、より複雑な疲労を生み出している。歴史が示すように、新技術は常に労働者への期待値を上げてきた。かつてのキッチン家電は家事を楽にしたが、同時により複雑な料理への期待も生んだ。スマートフォンは常時接続可能な状態を生み出した。そして今、AIは「無限の生産性」という新たな基準を作り出している。

AIツールを使いこなせなければ「遅れている」と見なされ、使いこなしても今度は人間がAIのペースに合わせて働かなければならない。技術が人間を助けるのではなく、人間が技術に仕える逆転現象が起きている。ChatGPTが驚異的な速さで普及したように、AIの浸透速度は過去のどの技術よりも速く、適応の猶予すら与えられない。

リーダー層の疲労はさらに深刻だ。多くのシニアリーダーがAIの急速な成長の中で「失敗している」と感じており、組織全体のAI導入への熱意が低下していると報告されている。彼らは「ダブルバーデン」を背負う――AIを採用して効率化を図りながら、同時に組織文化の変革も管理しなければならない。精神的疲労、決定疲労、そして個人的満足度の低下が、経営層レベルで蔓延している。

さらに深刻なのは、社会が求めるものがタスクの遂行だけになった時、人間は無限に働けるAIと直接比較されるという新たな構造だ。生成AIやAIエージェントは常時稼働し、休憩も睡眠も必要とせず、感情的にもならず、体調不良で休むこともない。複数のタスクを並行処理し、瞬時に大量のコードを生成する。この「無限の生産性」を持つ存在と比較された時、人間の当たり前の特性――疲れる、眠る、休憩が必要、感情がある、体調を崩す――これらすべてが「弱さ」として強調されてしまう。

従来の「弱さ」とは、社会が求める「常に成長し、生産的である人間像」になれないことだった。しかしAI時代においては、その基準自体が人間には到達不可能なものになった。常時働けるAI、感情に左右されないAI、無限に学習し続けるAI――これらと比較される時、人間の生物学的限界そのものが「弱さ」として定義されてしまう。

日々賢くなるAIと、日々衰える人間

最も残酷な現実は、日に日に賢くなるAIと、日に日にAIに依存して能力が落ち、当たり前に老いていく自分との対比だ。AIは毎日アップデートされ、より高速に、より正確に、より創造的になっていく。一方で人間は、AIに頼るほど自分で考える機会を失い、コードを書く能力は錆びつき、そして確実に年を重ねていく。この構造的な非対称性の前で、「辛くない」という感情を持つ方が難しい。

かつて電卓の登場で暗算能力が衰えたように、AIへの依存は確実に私たちの能力を変化させる。しかし、暗算と違って、プログラミングや問題解決能力は知的労働者のアイデンティティの核心だ。それが日々失われていく感覚は、単なるスキルの喪失以上の、存在論的な不安をもたらす。

新たな職務形態の苦悩

特に深刻なのは、AIの導入によって仕事の性質が根本的に変わることだ。「AIマインスイーパー」と呼ばれる現象――簡単なタスクはすべてAIが処理し、複雑で責任の重いタスクだけが人間に残される。まるで地雷原を歩くように、人間は常に高リスクの判断を迫られ続ける。多くのソフトウェアエンジニアがバーンアウトを経験しているという現実が、この状況の過酷さを物語る。

gigazine.net

また、プレイヤーからマネージャーへの急激な役割変化も新たな適応課題を生んでいる。かつては自分でコードを書いていた開発者が、今や複数のAIエージェントを管理し、それらの成果物を統合する「AIマネージャー」となる。しかし、誰もがマネジメントに向いているわけではない。コードを書く喜びを奪われ、望まない管理業務に追われる日々は、多くの開発者にとって職業的アイデンティティの喪失を意味する。

特に痛切なのは、AIと生産性を比較される瞬間だ。「AIならすぐにできることに、なぜ君はそんなに時間がかかるのか」「AIは休まないのに、なぜ君は疲れたと言うのか」――こうした比較は、人間としての基本的なニーズを「非効率」として否定する。働いて疲れることが「弱さ」になり、週末に休むことが「生産性の低さ」になる。人間であることそのものが、欠陥のように扱われる瞬間だ。

syu-m-5151.hatenablog.com

組織に広がる失望と疲労

AI時代の適応課題は、より複雑で多層的だ。期待と現実のギャップが組織全体に疲労をもたらす。「AIが全てを解決する」という楽観的な約束と、実際の導入で直面する困難との間に大きな溝がある。企業の半数以上が、全社的なAI導入への熱意が低下していると報告している。プルーフ・オブ・コンセプトの失敗、期待された成果の不達成、そして投資に見合わないリターン――これらが組織に失望と疲労を蓄積させる。

さらに、倫理的な懸念による疲労も無視できない。プライバシー、監視、バイアスといったAIの倫理的問題について、現場の従業員は無力感を抱えながら日々AIを使用している。「これは正しいことなのか」という問いを抱えながら、それでも使わざるを得ない状況は、深い心理的ストレスを生む。

まとめ

私たちは今、人類史上初めて、知的労働において機械と比較される時代を生きている。生成AIよりも成果を出すことを求められ、無限に働き続けるAIと生産性を比較され、日々賢くなるAIを横目に自分の能力の衰えを感じている。

この構造的な非対称性――AIは日々進化し、人間は日々老いる――の前で、「辛くない」という感情を持つ方が難しい。AIに依存すればするほど自分の能力は錆びつき、それでもAIなしでは競争できない。このジレンマに、多くの人が説明のつかない「しんどさ」を抱えている。

日に日に賢くなるAIを見ながら、自分の能力の衰えを感じる辛さ――この経験こそが、実は最も普遍的で、最も共有可能な凡人の体験になりつつある。若手開発者も、ベテランも、新卒のエンジニアも、みな同じ不安を抱えている。「昨日できたことが、今日はAIの方が上手くやる」「来年の自分は、今年の自分より相対的に無能になっている」――この残酷な現実を前に、辛くないと感じられる人などいるだろうか。居るなら俺を救ってくれ…。