この記事で得られる3つのポイント
- 「つぶしが効く」エンジニアになる: 表面的な技術習得ではなく、根本原理の深い理解と問題解決能力が長期的な市場価値を創出する
- AI時代の新たな役割: テクノロジーと人間の強みを組み合わせ、AIとの効果的な協働を設計・実現できる「アーキテクト」としての視点
- 計画的偶発性の活用: 不確実性を受け入れ、専門性と横断性のバランス、継続的学習、そして「偶然を必然に変える」姿勢の重要性
はじめに
みなさん、こんにちは!本日はアカリクの就職ラウンジイベント@会津大学に来ていただき、ありがとうございます。「AI時代に市場価値を高めるキャリア戦略」というテーマでお話しさせていただきます。口頭で補足しながらいろいろやっていきます。よろしくお願いします。
現役エンジニアとして日々AIの進化と自身のキャリアパスに向き合う中で、私が得た気づきや思考を皆さんと共有できればと思います。なお、本発表では何冊かの書籍を紹介していますが、必ずしも読む必要もないです。興味があればでよいです。購入する必要も余計にありません。図書館での閲覧や貸出サービスを活用していただければと思います。疑問があればこの場でもDMでも聞いていただければと思います。
完全に別件で20代のキャリア形成を振り返ったブログ記事も紹介しますので、同じ道を歩む方々の参考になれば幸いです。
会津大学の皆さんは、日本有数のコンピュータサイエンス教育を受けている最中ですね。私がコンピュータサイエンスを学んでいた頃と比べると、周りの環境は一変しています。ほんの10数年前、私が学生だったころには「AIがコードを書く」というのはまだSFの世界の話でした。「そんな日が来るのかな〜」なんて友達と冗談半分で話していたのに、気づけばそれが当たり前になっている。2020年の「アップロード ~デジタルなあの世へようこそ」(死後デジタル世界へアップロードされた主人公を描くSFコメディ)には、AIによるコード支援の形でペアプロのような描写がありましたが、今や私たちの現実はそれを遥かに超えています。
2025年の今、生成AIはもはや「選択肢」ではなく「前提」です。私の職場でも、多くのエンジニアがCline、Cursor、RooといったAIコーディングアシスタントを日常的に活用しています。「人間がコードを書く」という、これまでエンジニアの核心的業務だと思われていた部分が急速に変化しつつあります。
この変化に直面して、皆さんはこんな疑問を持っているかもしれませんね:
実は、私も同じような疑問を感じながら日々仕事をしています。でも、この変化は単なる脅威ではなく、新たな可能性も開いてくれると思うんです。AIの登場によって、私たちエンジニアの役割も進化していくのかもしれません。
今日の講演では、プログラミングの基礎知識の重要性はもちろん、それに加えて「文脈に応じた適切な問いの立て方」や「AIとの効果的な協働方法」など、これからのエンジニアに求められるスキルについて考えていきたいと思います。
本日は、実際の現場での経験や試行錯誤から学んだことをもとに、具体的で実践的なお話ができればと思っています。皆さんはAIと共に成長する世代のエンジニアです。これは確かに挑戦ですが、同時に新しい可能性にも満ちています。
それでは、まずは将来価値のあるエンジニア像から考えていきましょう。
- この記事で得られる3つのポイント
- はじめに
- 1. 「つぶしが効く」エンジニアになるために
- 2. 技術を点ではなくて線で見極める目を養う
- 3. 技術革新と不平等の歴史から学ぶ
- 4. そして、エンジニアになる
- 5. 計画的偶発性理論とAI時代のキャリア戦略
- おわりに
このブログが良ければ読者になったり、nwiizoをフォロワーしてくれると嬉しいです。では、早速はじめていきます。
はてなブログに投稿しました
— nwiizo (@nwiizo) 2025年5月21日
これから伸びるエンジニア職とは? - AI時代に市場価値を高めるキャリア戦略 @エンジニア業界セミナー in 会津大学 - じゃあ、おうちで学べる https://t.co/cUS6z4nBmt#はてなブログ
1. 「つぶしが効く」エンジニアになるために
皆さん、エンジニアとして長く活躍するために最も重要なことは何でしょうか?それは「つぶしが効く」エンジニアになることです。つまり、どんな環境でも、どんな技術変化が起きても適応できる基盤を持つことが重要です。
「つぶしが効く」エンジニアになるには、標準化された技術スタックの習得だけでは不十分です。 技術の深層に潜り、なぜそう設計されているのかを理解し、他社や他プロジェクトでも応用できる原理原則を掴むことが重要です。表面的な技術習得より、深い洞察を積み重ねることこそが差別化につながります。
エンジニアとしての私自身の経験から言えることですが、本当にキャリアの長期的な安定性をもたらすのは、特定のプログラミング言語やフレームワークの知識ではなく、「なぜそのように設計されているのか」という根本的な理解です。例えば、10年前にモバイルアプリ開発で流行していたフレームワークの多くは今や使われていませんが、その基盤となるアーキテクチャパターンや並行処理の原則は今でも変わらず価値を持っています。もし、Webのバックエンドエンジニアとして就職がしたいと思っているなら「データ指向アプリケーションデザイン ―信頼性、拡張性、保守性の高い分散システム設計の原理」などを読むとよいのではないでしょうか?ちょうど、来年ぐらいに第2版もリリースされることですし、
若いうちからやっておいた方がよく、失ってから「なぜ誰も教えてくれなかったのか」と後悔することが多い健康管理。これはAI時代においても最も必要なものの一つです。そして見落とされがちですが、「つぶしが効く」エンジニアキャリアの持続可能性において身体的・精神的健康の維持は極めて重要です。 デスクワークが中心のエンジニアは運動不足になりがちで、長時間のコーディングや深夜の障害対応などで睡眠リズムが乱れやすい職業です。健康管理は本当に大切なことです。
理想的には、週に3回程度の有酸素運動と軽い筋トレを習慣化することをお勧めします。特にデスクワークによる姿勢の悪化を防ぐために、背中や体幹の筋肉を鍛えることは効果的です。また、1時間に一度は立ち上がって5分程度ストレッチするだけでも違います。最近では多くのエンジニアが導入している昇降式デスクも検討する価値があるでしょう。
精神面では、定期的な休息とメンタルリフレッシュの時間確保が重要です。技術の進化が早いIT業界では常に学び続ける必要がありますが、それだけに燃え尽き症候群のリスクも高いです。趣味や運動など、コーディング以外の活動に意識的に時間を割くことで、長期的には創造性や問題解決能力も向上します。
深い理解の価値
なぜ専門家ほどAIを使いこなせるのか
現在のLLMはプログラミング教師としてはもはや人間より性能が上だと言えるでしょう。膨大なコードベースから学習したLLMは、何千もの言語やフレームワークについての知識を持ち、無限の忍耐力で初心者の質問に答えることができます。そして次の世代のLLMは今の世代よりさらに優秀になることが予想されます。
このような状況で、多くの人が「AIがコードを書いてくれるなら、私たちエンジニアは何をすればいいの?」と疑問に思います。しかし、興味深い現象が起きています。AIツールを最も効果的に使いこなしているのは、すでにその分野に深い知識を持つエンジニアたちなのです。
これは「生成AIが何でもやってくれる」という主張と矛盾しているように思えますが、実は理にかなっています。深い理解を持つエンジニアは、AIの提案を適切に評価し、改善点を見つけ、より良い解決策へと導くことができるからです。
理解の範囲がツール活用の上限を決める
ここで重要な原則があります。「自分の認知を超えるものは活用できない」ということです。
例えば、プログラミングの基本概念を理解していない人がAIに「効率的なアルゴリズムを書いて」と頼んでも、生成されたコードが本当に効率的かどうかを判断できません。データベース設計の原則を知らない人が「スケーラブルなデータモデルを設計して」と指示しても、結果の質を評価する基準がないのです。
現場の視点から言えば、AIが生成したコードを無批判に受け入れた結果、既にいくつかの重大なパフォーマンス問題やセキュリティホールを生み出してしまう例を何度も目にしてきました。反対に、基礎をしっかり理解しているエンジニアは、AIの提案を適切に評価し、時には「ここはこうした方がいい」と修正を加えることができます。
原理原則は腐らない知識になる
なぜAIの時代にも深い理解が重要なのでしょうか。その答えは、コードの「良い」「悪い」を決めるのは、AIでも人間の主観でもなく、そのコードが負う責任だからです。
- 責任の評価: その責任の重さと範囲を正確に評価できるのは、システムの基盤となる原理を深く理解している人だけです
- 影響範囲の見極め: AIが提案する解決策の影響範囲と限界を見極め、より適切な方向性を示せるのは、システム設計の原則と実世界での影響を理解している人だけです
- 統合と責任: AIが生成した出力を実際の問題解決に統合し、その結果に責任を持てるのは、全体的なアーキテクチャを理解しているエンジニアだけです
プログラミング言語やツールは変わっても、基本的な原則や設計パターンは何十年も変わりません。アルゴリズム、データ構造、分散システム、データベース設計などの基礎的な知識は、AIの時代になってもその価値が色あせることはありません。
むしろ、AIが成熟するほど、ソフトウェアの量は爆発的に増えます。その基盤となる原理原則を理解している人の価値は高まるのです。
AI時代における深い理解の実践的意味
結局のところ、AIをパートナーとして活用し、その出力を批判的に評価し、改良できる能力こそが、これからのエンジニアに求められる真の価値なのです。
これは次のような実践を意味します:
- AIとの対話における質問力: 適切な問いを立て、AIから価値ある回答を引き出す能力
- 出力の評価眼: AIが生成したコードやアイデアの品質を見極める判断力
- 改善と統合: AIの提案を実際のプロジェクトに適用し、必要に応じて改善する技術力
- 責任ある実装: 最終的な成果物に対して技術的責任を負える専門性
AIが発展すればするほど、私たち自身も成長し続ける必要があります。AIと効果的に協働するための使い方は、自分自身の学びと経験に基づいて考え、発展させていくものなのです。
これからのエンジニアは、AIを単なる「便利なツール」として使うのではなく、深い理解に基づいた「創造的なパートナーシップ」を築いていく必要があるでしょう。そのパートナーシップの質を決めるのは、結局のところ、私たち人間が持つ基礎的理解の深さなのです。
実践のためのアドバイス
では、大学生の皆さんが「つぶしが効く」エンジニアになるために、具体的に何をすべきでしょうか?
基礎を徹底的に学ぶ:
- 授業で教わるアルゴリズムとデータ構造を丸暗記ではなく、本質的に理解する
- 講義だけでなく、自分で実装してみることで理解を深める
- コンピュータサイエンスの基礎科目を軽視せず、しっかり身につける
- OSの仕組みやメモリ管理などのローレベルな動作原理も抽象化に頼らず理解する
「なぜ」を常に問う:
- 新しい技術やツールに出会ったとき、「なぜこれが存在するのか」を考える
- 課題やレポートに取り組む際、「これはなぜこの方法で解くのか」を自問自答する
- AIがコードを生成したときも、「なぜこのような実装になるのか」を考察する
- 「どうやって」の前に「なぜ」を問うことで、表面的な理解を超える
多様な経験を積む:
- 授業の課題だけでなく、サークル活動やハッカソンなど異なる環境での開発を経験する
- チームプロジェクトに積極的に参加し、異なる役割を経験してみる
- コンテストや学外の活動にも挑戦して視野を広げる
- 可能であれば異なる規模のプロジェクト(小規模な個人プロジェクトから大規模なチーム開発まで)を経験する
いいやつになる:
- 技術力だけでなく、チームの中で信頼される人間性を育む
- 知識やスキルを惜しみなく共有し、他者の成長を支援する
- 批判するだけでなく建設的なフィードバックを心がける
- 自分の間違いを素直に認め、修正できる謙虚さを持つ
- 技術的な決断において倫理的な側面も考慮できる視点を養う
- 一時的な効率より長期的な関係構築を重視する姿勢を持つ
「つぶしが効く」エンジニアは、特定の技術やツールに依存しません。彼らは根本的な問題解決能力と適応力を持ち、どんな状況でも価値を生み出せるのです。一方で文脈には依存するので注意が必要です。皆さんも大学時代から、そのような柔軟性と深い理解を育てていきましょう。
『コンサル一年目が学ぶこと ― 新人・就活生からベテラン社員まで一生役立つ究極のベーシックスキル30選』は、論理的思考・プレゼン・タイムマネジメントなど30の汎用スキルを「話す技術/思考術/デスクワーク術/ビジネスマインド」の4カテゴリに整理し、AIでは置き換えにくい問題解決プロセスを基礎から鍛えてくれる。
『コンサルティング会社 完全サバイバルマニュアル』は、アナリストからマネージャーまでに潜む罠と突破口を3部構成で描き、クライアント合意形成やチーム動員術など"人間関係の摩擦"を乗り越える実践策を開示し、苛烈な業界で残業せず成果を出すための暗黙知を授ける。
『シン・ロジカルシンキング』は、問い(Q)→仮説(A)→示唆(D)→結論(I)のQADIサイクルで〈発見〉と〈論証〉を往復し、生成AI時代にこそ差別化源となる"問う力"と独創的洞察の生み出し方を提示する。 基礎体力を底上げする一冊、苛烈な現場を生き抜く一冊、思考をアップデートする一冊——この3冊を通読すれば、ビジネスパーソンはAIが代替できない知的生産プロセスを多角的に武装できる。という主張をしているが現状維持バイアスの人間賛美でいずれできるようになる。
生成AIの時代には、単にコードを書く技術だけでは「AIに任せた方が早いもしくは安い(易い)」と思われてしまう危険性があります。これは新卒のみなさんだけではなく中堅やベテランエンジニアも同様にです。AI時代を生き抜くには、技術スキルだけでなく、問題の本質を見抜く力、ビジネス感覚、そして人間関係の機微を読む力を意識的に磨くことが不可欠で、これらのスキルを身につけることで、技術力と人間力を兼ね備えた「AIより人間に任せたい」「〇〇といっしょに働きたい」と思われるエンジニアになれるのです。
2. 技術を点ではなくて線で見極める目を養う
AIやテクノロジーの進化が加速する中、多くの学生や若手エンジニアはこの変化について行こうと焦っています。「最新技術を習得しないと就職で不利になるのでは?」「他の人に遅れを取るのでは?」という不安も理解できます。しかし、最先端の技術を追いかけることだけに集中すると、むしろ長期的な成長を妨げる可能性があります。皆さんには、「技術を点ではなくて線で見極める目」を養ってほしいと思います。
技術の進化と本質的価値
技術の進化に振り回されず、本質を見極めることがエンジニアの価値です。 最新技術への焦りは不要で、顧客価値を軸に選択すべきです。「流行りの技術を使っていない」ことへの不安より、「なぜその技術が必要か」を問い続けることが、長期的に価値あるエンジニアになる道筋です。
ハラリが「NEXUS 情報の人類史」で指摘しているように、人類の進化はつねに「情報ネットワーク」と密接に関わってきました。そして今、私たちは人類史上初めて「人間ならざる知能」の時代に突入しています。
技術者として重要なのは、この歴史的文脈の中で自分たちの立ち位置を理解することです。私たちは単なる「コード生産者」ではなく、情報の流れ方そのものを設計する重要な役割を担っています。特にAIモデルが日々進化する中で、「どのような情報をどのように処理し、どのような形で人間に提示するか」という選択は、社会に大きな影響を与えます。
「新しい技術に追いつかなければ」という焦りはエンジニアなら誰しも感じるものです。しかし、重要なのは技術そのものではなく、その技術が解決する問題の本質を理解することです。なぜこの技術が必要なのか、これによってどのような価値が生まれるのか、そして他の方法では解決できないのか。これらの問いに答えられるエンジニアは、単なる「技術の使い手」を超えた存在になります。
長期的に価値を持つスキルの見極め方
技術の世界は常に変化していますが、すべての変化が同じ重要性を持つわけではありません。「新しい技術に追いつかなければ」という焦りに駆られる前に、次の3つの質問を自分に問いかけてみてください:
この技術は一時的なトレンドか、根本的な変化か?
- このフレームワークの流行り廃りは一時的なトレンドか?
- バージョン管理システムの普及は根本的な変化か?
- クラウドインフラの普及やコンテナ技術の標準化は根本的な変化の原因は?
この技術は問題解決の新しい方法を提供しているのか?
- 単に既存の解決策を少し改良したものか
- まったく新しいアプローチを可能にするものか
- 解決できる問題の範囲を根本的に拡大するものか
この技術の基礎となる原理は何か?
- 表面的な実装詳細を超えて、根底にある考え方は何か
- その原理は他の文脈でも適用可能か
- その原理が解決している根本的な問題は何か
これらの質問に答えることで、目の前の技術が「追いかける価値があるもの」なのか、それとも「様子を見るべきもの」なのかを判断する力が養われます。
重要なのは、技術そのものではなく、その技術が解決する問題の本質を理解することです。なぜこの技術が必要なのか、これによってどのような価値が生まれるのか、そして他の方法では解決できないのか。これらの問いに答えられるエンジニアは、単なる「技術の使い手」を超えた存在になります。
また、個人ですべての技術動向を追うのは現実的ではありません。信頼できる技術ブログや専門家の意見、実際に手を動かしている現場のエンジニアの知見を参考にしながら、情報収集の効率化を図ることも重要です。そこで、今のXは少々使いづらいのでControl Panel for Twitterなどのプラグインを利用すると良いユーザー体験が生まれるのでオススメです。
システム設計の現場では、「賢い」デザインと「単純」なデザインの選択に直面することがよくあります。経験から言えることですが、長期的に価値を持つのは後者です。いくら「賢く」見える技術ソリューションでも、あまりに複雑で他者が理解しにくいものは、長期的にはメンテナンスコストが高くなり、チームの足かせになります。「単純さ」を追求することこそ、実は高度な技術力の現れなのです。
実践のためのアドバイス
では大学生の皆さんは、どうすれば技術の本質を見極める目を養えるのでしょうか?
「なぜ」を5回問う: 新しい技術に出会ったら、連続して「なぜ」を問いかけましょう。例えば:
- なぜDockerが人気なのか? → 環境の一貫性を提供するから
- なぜ環境の一貫性が重要か? → 開発と本番環境の差異を最小化するため
- なぜ環境差異の最小化が必要か? → デプロイの信頼性向上のため
- なぜデプロイの信頼性が重要か? → 継続的なサービス提供のため
- なぜ継続的なサービス提供が求められるか? → デジタルサービスの常時稼働が期待されるから
この連鎖的な問いかけで、技術の表層から社会的・経済的な本質へと掘り下げられます。古典的で嫌う人もいますが一定の価値はあると思います。
技術の歴史を学ぶ: デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った。この思想はコンピュータサイエンスの基盤ですが、実は問題の分解法こそが難所です。歴史的変遷を学ぶことで、なぜ現在の解法が選ばれたのか、試行錯誤のプロセスも含めて理解でき、「創造の追体験」という知的興奮を得られます。プログラミング言語の進化やプロトコル設計の歴史を知ることで、表層的な知識を超えた洞察が得られるでしょう。
知的多様性と創造的衝突を求める: 技術の価値は多様な視点がぶつかる場で鮮明になります。同じ技術でも、バックエンド、フロントエンド、デザイン、マネジメントの観点で評価が異なります。計算機科学だけでなく、心理学や経営学など異分野からの視点が予想外の気づきをもたらすことも。研究室やサークルでの議論から始め、カンファレンスやオンラインコミュニティへと視野を広げ、「異質な他者」との対話を通じて技術の多面性を理解しましょう。
コードを「読む」文化を身につける: 優れたミュージシャンが名曲を聴き込むように、良いエンジニアは質の高いコードを読み込みます。GitHubの時代は「巨人の肩」への前例のないアクセスを提供しています。LinuxカーネルやPostgreSQLなど様々な成熟度のプロジェクトから生きた知恵を吸収しましょう。コミットメッセージや設計ドキュメントを読むことで、技術選択の背景にある思考プロセスも理解できます。「読む」という行為は「書く」能力を飛躍的に高める最も効率的な投資です。
技術の本質を見極める目を持つことは、AI時代のエンジニアにとって最も価値ある資質です。流行りに惑わされず「なぜ」を問い続けることで、変化する環境でも揺るがない判断軸を持てるようになるでしょう。
3. 技術革新と不平等の歴史から学ぶ
技術の本質を見極める視点をさらに深めるために、ここで少し歴史的な視点から考えてみましょう。技術革新は本当に社会を良くするのでしょうか?その恩恵は誰に届くのでしょうか?
2024年のノーベル経済学賞受賞者ダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンも「技術革新と不平等の1000年史」で重要な警鐘を鳴らしています。彼らの研究によれば、技術革新は自動的に社会全体の富や幸福をもたらすわけではありません。むしろ歴史は、技術革命の果実が一部の人々に集中し、不平等を拡大させてきた事例で満ちています。技術の恩恵が広く社会に行き渡るかどうかは、技術そのものではなく、その「ビジョン」と「設計された分配システム」に依存するのです。
歴史に見る技術革命と不平等
人類の歴史を振り返ると、多くの技術革命は必ずしも万人に恩恵をもたらしてきませんでした。
農業革命は食料生産を増加させましたが、その恩恵は主に土地を所有するエリート層に集中し、多くの人々はかえって過酷な労働を強いられました。情報の視点で見れば、これは「中央集権的な情報管理」の始まりでもありました。少数の支配者が情報を独占することで、多数の人々を統制する仕組みが生まれたのです。
産業革命の初期段階では、工場労働者の生活水準は実際に悪化しました。機械化による生産性向上の恩恵は工場主に集中し、労働者は危険で過酷な環境で働かされました。情報の観点では、「標準化された情報」と「階層的な情報の流れ」が特徴的でした。
コンピュータ革命でさえ、デジタル格差と所得格差の拡大をもたらしました。プログラミングのスキルを持つ人々と持たない人々の間に新たな分断が生まれ、技術の発展が必ずしも平等な社会をもたらさなかったのです。
ハラリは「情報が多いほど真実に近づける」という素朴な前提が実は誤りであることを指摘しています。同じ情報インフラが科学を発展させる一方で、魔女狩りのような集団ヒステリーを引き起こすこともあるのです。決定的な分かれ道となるのは、「間違いを前提に互いに補正できる仕組みがあるかどうか」なのです。
AI革命の文脈で考える
私たちが今経験しているAI革命も、同様の歴史的パターンを繰り返す可能性があります。AIが生み出す生産性向上の恩恵は、AIを所有・制御する企業や個人に集中するかもしれません。また、AIを効果的に活用できるスキルを持つ人々と持たない人々の間に新たな格差が生まれる可能性もあります。
エンジニアとして私たちは、技術が社会に与える影響に対して無関心ではいられません。私たちが設計するシステムが、意図せず不平等を拡大したり、一部の人々を排除したりする可能性を常に意識する必要があります。
エンジニアの責任と可能性
歴史は決定論的ではありません。私たちには選択肢があります。エンジニアとして、技術の恩恵がより広く社会に行き渡るような設計や実装を意識的に選ぶことができます。
具体的には:
倫理的な視点を持つ:開発するシステムが社会に与える可能性のある影響を常に考える
オープンな技術の推進:知識や技術へのアクセスを広げるオープンソースやオープン教育の取り組みに参加する
多様性のある開発チーム:様々な背景や視点を持つ人々が開発に参加することで、より包括的な技術を生み出す
技術史を学ぶことは、未来を形作るために不可欠です。私たちは過去の過ちを繰り返さないよう、意識的に行動することができます。AI時代のエンジニアとして、技術の社会的影響を理解し、より公正で包括的な未来に貢献する責任があるのです。
4. そして、エンジニアになる
ここまで、技術的な深さと歴史的視点について話してきましたが、次に「人間的な側面」に目を向けていきましょう。AI時代において価値あるエンジニアとなるために必要な、「ユーザー」「技術」「自分自身」との3つの関係性について考えていきます。
ユーザーに寄り添うエンジニアになる
技術に精通することはエンジニアにとって重要ですが、それだけでは十分ではありません。価値のあるエンジニアとなるためには、自分の作るものが最終的に誰に届き、どのような影響を与えるのかを常に意識する必要があります。
エラーログの向こうに人がいることを忘れるな。0.01%の障害も、誰かの人生を大きく狂わせる可能性があります。 数字だけで判断せず、実際にサービスを触り、ユーザー体験を自分の目で確かめるエンジニアこそが、信頼性の高いシステムを作れるのです。
例えば私の経験からですが、あるサービスで「99.9%の可用性」というメトリクスに満足していたチームがありました。しかし、実際にユーザーとして使ってみると、残りの0.1%の障害が、ユーザーが最も重要なタイミング(プレゼンの直前や商談中など)に発生していることが分かりました。統計的には小さな数字でも、ユーザーにとっては致命的な問題になり得るのです。
エンジニアの世界では、しばしば数字やメトリクスで成功を測ります。「99.9%の可用性」「平均応答時間50ms」「エラー率0.01%」といった具合です。これらの数字は確かに重要ですが、その裏側にある人間の体験を見失ってはいけません。
技術的な指標だけでなく、「この機能が失敗したとき、ユーザーはどう感じるか」「彼らの人生にどんな影響を与えるか」を常に考えることが、価値のあるシステムを作る鍵となります。
エンジニアとして成長するために最も効果的な方法の一つは、自分が作ったシステムを実際のユーザーとして使ってみることです。これは「ドッグフーディング」とも呼ばれますが、単なる形式的なテストではなく、ユーザーの立場に立つことを意味します。この体験を通して、技術的な視点だけでは見えてこなかった問題点や改善の機会に気づくことができるでしょう。
技術に寄り添うエンジニアになる
エンジニアとして価値を発揮するためには、技術そのものを深く理解し、技術の特性や進化の方向性に寄り添う姿勢も重要です。技術に寄り添うとは、単に最新技術を追いかけることではなく、各技術の本質や適切な使いどころを見極める目を持つことです。
技術を目的化せず、手段として適切に選択できるエンジニアが良い価値を生み出せます。 データベースの負荷問題も、技術的な最適化、アーキテクチャの再設計、あるいはビジネス要件の見直しなど、複数の視点から最適な解決策を見つけられる柔軟性が重要です。
技術に寄り添うエンジニアは、次のような特徴を持っています:
技術の「なぜ」を理解している: 特定の技術がなぜ生まれたのか、どのような問題を解決するために設計されたのかを理解しています。この理解があるからこそ、適切な場面で適切な技術を選択できるのです。
技術の限界を認識している: どんな優れた技術にも限界があることを知っています。「この技術では解決できない問題は何か」を理解しているからこそ、過剰な期待や誤った適用を避けることができます。
技術間の関係性を把握している: 個々の技術を孤立して見るのではなく、技術エコシステム全体の中での位置づけを理解しています。これにより、相互運用性の問題や将来的な拡張性を考慮した設計が可能になります。
技術の進化の方向性を予測できる: 過去の技術進化のパターンを理解し、将来の方向性を予測する目を持っています。これにより、一時的なトレンドに振り回されず、長期的な視点で技術選択ができます。
技術に寄り添うためには、幅広い知識と経験が必要です。異なる専門領域の知識を組み合わせ、多角的な視点で問題を捉える能力が重要になります:
- フロントエンドとバックエンドの両方の視点から考える
- インフラストラクチャとアプリケーション開発の関係性を理解する
- セキュリティとユーザビリティのバランスを考慮する
- パフォーマンスと保守性のトレードオフを意識する
AIの時代においては、「人間とAIの協働」という新たな視点も必要です。AIツールの特性を理解し、人間の創造性と判断力を活かしながら、AIの処理能力と効率性を組み合わせていく視点が重要になるでしょう。
技術に寄り添うエンジニアになるには、一朝一夕ではなく日々の小さな習慣の積み重ねが鍵です。毎日15分の技術調査、週一回のコード見直し、月一冊の技術書など、小さくても継続的な取り組みが深い理解を育みます。
AI時代では特に、新しいツールを定期的に試し、結果を記録する習慣が重要です。理解のプロセスは螺旋状に進みます。この道のりには挫折もありますが、小さな習慣を粘り強く続けることで、技術に対して誠実なエンジニアへと成長できるのです。
自分に寄り添うエンジニアになる
技術の急速な進化と複雑化が進む中、エンジニアとして長く活躍し続けるためには、「自分自身に寄り添う」姿勢も欠かせません。これは単に自己満足や自己中心的になることではなく、自分の学習プロセス、強み・弱み、成長の方向性を理解し、持続可能なキャリアを構築することを意味します。
元オリンピック選手で「熟達論」で知られる為末大氏は、熟達を単なる技術の向上ではなく、「技能と自分」を一体として捉え、人間という総体を高めていくプロセスだと説明しています。このアプローチはAI時代のエンジニア育成においても極めて示唆に富んでいます。
為末氏による熟達の5段階を見ていきましょう:
遊(ゆう) - 探索と実験: すべての学びは「遊び」から始まります。好奇心に導かれ、新しい言語やフレームワーク、AIツールと自由に戯れる段階です。ここでの自由な探索が長期的な学習のエネルギー源となります。
型(かた) - 基本を身につける: 基本的な動きや思考パターンを繰り返し練習し、無意識にできるようになる段階です。AIがコード生成を担う時代でも、この「型」の理解なしにAIの出力を評価・改善することはできません。
観(かん) - 深い理解: 対象を部分に分解し、その関係性と構造を深く理解する段階です。コードが「動く」だけでなく、「なぜそう動くのか」を考察し、見えない部分まで想像できるようになります。
心(しん) - 本質の把握: 細部にとらわれず全体のバランスを保ち、本質的な部分を直感的に見抜ける段階です。AIとのコラボレーションにおいても、本質的な方向性を見失いません。
空(くう) - 創造的境地: 既存の枠組みを超え、純粋に目的や価値の創造に集中できる境地です。AI時代においてこそ、この創造的な「空」の境地が人間の価値となります。
重要なのは、熟達のプロセスが一直線ではなく螺旋状に進むということです。新しい技術やAIモデルに出会うたびに、再び「遊」の段階から始まり、徐々に「型」「観」「心」へと進んでいきます。この螺旋的な成長過程を理解し、受け入れることで、変化の激しいAI時代においても心理的な安定を保ちながら成長し続けることができるのです。
自分に寄り添うエンジニアになるための具体的なアプローチとしては:
自分の学習スタイルを理解する: 人によって効果的な学習方法は異なります。読書、実践、教えること、議論など、自分にとって最も効果的な学習方法を見つけ、意識的に活用しましょう。
自分のエネルギー源を知る: 何に取り組むとエネルギーが湧いてくるか、逆に何をするとエネルギーを消耗するかを理解しましょう。持続可能なキャリアのためには、エネルギーを与えてくれる活動と消費する活動のバランスが重要です。
適切な休息と内省の時間を確保する: 常に新しい技術を追いかけ続けるのではなく、学んだことを内省し、自分のものにするための時間も大切です。定期的な休息や趣味の時間も、長期的な創造性と生産性のために不可欠です。
自分の強みと弱みを正直に評価する: すべてを完璧にこなそうとするのではなく、自分の強みを活かし、弱みは補完するアプローチを考えましょう。チームやコミュニティの中で、互いの強みを活かし合う関係を構築することも重要です。
量をこなすことの本質的価値
ここまで「寄り添う」という質的な側面について語ってきましたが、エンジニアとして成長する上で避けて通れない真実があります。それは「質は量から生まれる」ということです。 AI時代になって「もうコードを大量に書く必要はない」と考える人もいるかもしれません。しかし、これは大きな誤解です。AIを効果的に使いこなせる人は、例外なく膨大な量のコードを書いてきた人たちです。なぜなら、量をこなすことで初めて得られる「暗黙知」があるからです。
為末氏の熟達論でも触れたように、成長は螺旋状に進みます。量をこなすことで質が向上し、質の向上によってより高度な量をこなせるようになるという好循環が生まれます。 最初の1000時間は基礎的なコーディングスキルの習得に費やされるかもしれません。次の1000時間では、より複雑な問題解決に挑戦できるようになります。そして次の1000時間では、AIと協働しながら、以前は想像もできなかった規模のプロジェクトに取り組めるようになるでしょう。
「とにかく手を動かせ」という古からのアドバイスは、AI時代においても色褪せることはありません。むしろ、AIという強力なパートナーを得た今こそ、かつてない速度で量を積むことができる絶好の機会なのです。
ちゃんと、エンジニアになる
これまで述べてきた「ユーザーに寄り添う」「技術に寄り添う」「自分に寄り添う」という3つの姿勢を総合して、初めて「ちゃんとしたエンジニア」になれるのではないでしょうか。では、実際にどのようにすれば、これらの要素を日々の実践に落とし込んでいけるのでしょうか?
自分の作ったものを実際に使う習慣をつける: 自分が開発したシステムやアプリケーションを、定期的に実際のユーザーとして使ってみましょう。理想的には、業務外の時間や異なる環境で使うことで、新たな視点が得られます。「ユーザーに寄り添う」姿勢を具体化する第一歩です。
異なる専門性を持つ人々との協働を積極的に求める: デザイナー、プロダクトマネージャー、マーケター、ビジネス部門の人々など、多様な背景を持つ人々との協働プロジェクトに参加しましょう。これにより、多角的な視点で問題を捉える力が養われ、「技術に寄り添う」視野の広さが育まれます。
AIとの「遊び」の時間を確保する: AIツールを業務だけでなく、創造的な探索のために使う時間を意識的に確保しましょう。例えば、週に1時間だけ「AIとの実験タイム」を設け、新しい使い方や可能性を探求するのも良いでしょう。為末氏の言う「遊」の段階を大切にすることで、AIとの共創の可能性が広がります。
振り返りとフィードバックを習慣化する: プロジェクトやタスクの終了後に、「何がうまくいったか」「何が改善できるか」「どんな学びがあったか」を振り返る時間を持ちましょう。また、同僚や顧客からのフィードバックを積極的に求め、それを次の成長につなげましょう。これは「自分に寄り添う」ための重要な習慣です。
「技術以外の本」を読む習慣をつける: 技術書だけでなく、デザイン、心理学、ビジネス、哲学など様々な分野の本を読むことで、多角的な思考が育まれます。これらの知識は、技術的な問題に対しても新たな視点をもたらすことがあります。
「ちゃんとしたエンジニア」とは、単に技術が優れているだけでなく、その技術を通じて人々の生活や仕事をより良くする価値を生み出せる人です。そのためには、技術的なスキルだけでなく、ユーザーへの共感力、技術の本質を見極める洞察力、そして自分自身の成長プロセスを理解する内省力が必要です。
AI時代のエンジニアとして、これらの要素をバランスよく発展させることで、単なる「コードを書く人」を超えた、価値あるエンジニアへと成長することができるでしょう。技術の進化がどれほど加速しても、最終的に価値を生み出すのは人間です。その原点を忘れずに、日々の実践を積み重ねていきましょう。
エンジニアとしての総合的な成長を目指す方には、技術的スキルだけでなく人生全体のマネジメントや自己投資の方法を網羅的に解説した『ソフトスキル:ソフトウェア開発者の人生マニュアル』と、プログラミングの技術的側面に加えてプロフェッショナルとしての心構えや実践的知恵を提供する古典的名著『達人プログラマー:熟達に向けたあなたの旅』の2冊をぜひお読みいただきたいと思います。前者は「自分に寄り添う」姿勢を育み長期的なキャリア構築の指針となり、後者は「技術に寄り添う」ための具体的なプラクティスが豊富で、両書を通じてAI時代においても普遍的な価値を持つエンジニアリングの本質と、バランスの取れた成長への道筋を学ぶことができるでしょう。
5. 計画的偶発性理論とAI時代のキャリア戦略
ここまで「つぶしが効くエンジニア」「技術の本質を見極める目」「エンジニアとしての在り方」について話してきました。では、AIの急速な進化という大きな変化の中で、皆さんは具体的にどのようなキャリア戦略を持ち、どのような選択をすればよいのでしょうか?
「AIに代替されない職業を選ぶべきか」「これから伸びる分野はどこか」という問いに明確な答えを出すことは困難です。その代わりに、不確実性の高い時代におけるキャリア構築の考え方として、「計画的偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)をご紹介します。この理論を理解した上で、大学時代の選択と明日からの具体的なアクションについて考えていきましょう。
計画的偶発性理論とは
計画的偶発性理論は、スタンフォード大学の心理学者ジョン・D・クランボルツ教授が1999年に提唱したキャリア発達理論です。この理論によれば、個人のキャリアの約8割は、本人が予想していなかった偶然の出来事によって方向づけられるとされています。
クランボルツ教授は、成功したビジネスパーソンのキャリアを調査した結果、多くの人のターニングポイントが「計画されたもの」ではなく「偶然の出来事」だったことを発見しました。しかし重要なのは、その「偶然」をただ待つのではなく、偶然を活かすための準備と行動が必要だということです。
この理論がAI時代において特に重要なのは、テクノロジーの進化があまりに速く、将来どのような職種が残るか、どのようなスキルが求められるかを正確に予測することがほぼ不可能だからです。例えば、数年前には「AIプロンプトエンジニア」という職業は存在していませんでした。
現在から見たら過去のトレードオフが分からないので、分かったような顔して「これが正解だった」と言う人はあとから来ていろいろ語りますが、だいたい運で勝っている人も多いです。技術の歴史を振り返ると、「明らかに正しい選択だった」と思えることでも、当時は複数の選択肢の中からの賭けだったことが少なくありません。
計画的偶発性を生み出す5つの行動特性
クランボルツ教授によれば、計画的偶発性を生み出すには5つの重要な行動特性があるとされています:
1. 好奇心(Curiosity)
好奇心とは、新しい知識や経験に対して積極的に探求する姿勢です。AIツールやモデルに対する好奇心は、その可能性と限界を見極める上で重要です。「これは何ができるのだろう?」と試してみる姿勢が、未知の可能性を開拓します。
学生のうちからできること:
- 講義で紹介された技術を授業以外でも試してみる
- 新しいAIツールが登場したら、すぐに実験してみる
- 「こんなことはできないだろう」と決めつけず、実際に試してみる姿勢を持つ
2. 持続性(Persistence)
持続性は、困難や障害に直面しても諦めず、目標に向かって努力し続ける能力です。AIツールは万能ではなく、期待通りの結果が得られないことも多々あります。そんなとき、一度や二度の失敗で諦めず、異なるアプローチを試みる持続力が重要です。
学生のうちからできること:
- 課題で壁にぶつかったとき、別のアプローチを試みる習慣をつける
- AIとの協働でうまくいかない場合も、プロンプトや方法を変えて複数回試す
- 失敗した試みも記録に残し、何が学べたかを振り返る
3. 楽観性(Optimism)
楽観性は、将来に対する前向きな見方と、成功の可能性を信じる姿勢です。技術変革期には、「AIに仕事を奪われる」といった不安や悲観的な見方が広がりがちです。しかし、歴史が示すように、新技術は常に新たな職種や専門性を生み出してきました。AIを脅威ではなく、可能性を拡張するパートナーとして前向きに捉えることが重要です。
学生のうちからできること:
- 技術の変化を「危機」ではなく「機会」として捉える視点を養う
- 失敗やミスを「学びの機会」として前向きに受け止める習慣をつける
- 週に一度、自分の小さな成功や進歩を書き出してみる
- 未来について友人と前向きな対話をする時間を定期的に持つ
4. 柔軟性(Flexibility)
柔軟性は、変化する状況や予期せぬ出来事に適応する能力です。AI技術は日々進化し、その可能性と制約も常に変化しています。特定のツールや方法論に固執せず、状況に応じて最適なアプローチを柔軟に選択する能力が重要になります。
学生のうちからできること:
- 複数のプログラミング言語やフレームワークに触れる
- 「これが唯一の正解」という思考を避け、複数の解法を探る習慣をつける
- 計画変更を余儀なくされたとき、それを学びの機会と捉える姿勢を持つ
- 異なる文化や背景を持つ人々との交流を通じて多様な視点を学ぶ
- コンフォートゾーンを意識的に離れる小さな挑戦を定期的に行う
5. 冒険心(Risk Taking)
冒険心とは、不確実性や失敗の可能性があっても、新しいことに挑戦する勇気です。AI技術の最前線は常に変化しており、確立された「正解」が存在しないことも多いです。誰も試したことのない方法やアプローチに挑戦する冒険心が、イノベーションを生み出します。
学生のうちからできること:
- ハッカソンやコンテストなど、短期間で新しいことに挑戦する機会に参加する
- 未知の技術領域のプロジェクトにあえて挑戦してみる
- 「失敗しても構わない」と考えられる安全な環境で、リスクを取る経験を積む
- 自分のアイデアを公の場で発表する機会を積極的に求める
- 「ちょっと無理かも」と思うようなプロジェクトや役割に手を挙げてみる
計画的偶発性理論に基づくキャリアの基礎構築
キャリアとは何でしょうか?「キャリア」の語源はラテン語の「carrus(車輪の付いた乗り物)」に由来し、後にイタリア語(carriera)、フランス語(carriere)となり、レールコース(通り道)を意味するようになりました。つまり、キャリアとは車輪の通った跡(轍・わだち)を意味しています。語源としてはそうですが実際もそうでこれは前もって計画できるものではなく、進んだ後に振り返って初めて見えるものなのです。
誰かが「成功したキャリア」を語るとき、それは無数の選択肢と偶然の中から結果的に選び取った一本の道を後付けで説明しているにすぎません。特に現代のように技術革新と不確実性が加速する時代では、10年後、20年後の働き方を正確に予測することはほぼ不可能です。
「偶然を必然に変えるのは、あなた自身の行動と姿勢なのです」
計画的偶発性理論が教えてくれるのは、予測不能な未来に対して完璧な計画を立てるのではなく、偶然の出会いや機会を活かせるよう準備し、自分だけの独自の轍を刻んでいく姿勢の重要性です。
就活生が見る労働の世界はいろんな人達が作った虚構の上に成り立っているので仕事選びや仕事で馬鹿を見ないために読んでおくのありかと思います。NINE LIES ABOUT WORK 仕事に関する9つの嘘は、私たちが当然と受け入れている職場の「常識」が実は神話に過ぎないことを鋭く指摘します。「どの会社で働くかが大事」「リーダーシップというものがある」といった広く信じられている前提を覆し、実際のデータと研究に基づいて職場の真実を明らかにしています。特に就職活動中の方や、キャリアの岐路に立つエンジニアにとって、この本は組織や仕事の本質を見抜く目を養い、自分が本当に活躍できる環境を見極める力を与えてくれるでしょう。
専門性と横断性のバランス
AI時代においても、深い専門性の価値は決して減じません。むしろ、ChatGPTのような汎用AIが「浅く広い」知識を提供できるようになるほど、特定分野における「深く狭い」専門知識の希少性は増していきます。
しかし同時に、複数の領域を横断する能力も重要です。ここでのポイントは「浅く広く」ではなく「深く狭い専門性を複数持つ」というアプローチです。T型人材(1つの分野で深い専門性+広い一般知識)からπ型人材(複数の分野での深い専門性)へのシフトが、AI時代には価値を発揮します。
これから10年、20年と生成AIはますます賢くなっていくでしょう。多くの領域で、AIに「優れる」ことは非常に難しくなります。しかし、「異なる」ことは常に可能です。AI時代のキャリア戦略として大切なのは、「優れる」よりも「異なる」ことを目指すアプローチです。
「異なる」とは、独自の視点、独自の問い、独自の関心領域を持つことです。
これは必ずしも仕事や学問の組み合わせだけではありません。あなたのユニークな趣味、特異な経験、異文化での生活体験など、あなただけの「異なる」要素がキャリアの差別化につながることもあります。将棋や囲碁が好きな人は、その戦略思考がシステム設計に活きるかもしれません。山登りが趣味の人は、「少しずつ高みを目指す」という考え方がソフトウェア開発に応用できるかもしれません。
重要なのは、自分が本当に情熱を持てる「異なる」要素を見つけ、それを技術と組み合わせる方法を探ることです。AIは多くのタスクで人間を超えるかもしれませんが、あなただけの独自の視点と問いは、AIにはない価値を生み出す源泉となるでしょう。
実践的な問題解決経験
AIがコードを生成できる時代において、「Todoアプリを作りました」といった基本的な実装経験の差別化価値は相対的に低下します。代わりに、「具体的な問題を解決した」という経験が価値を持ちます:
採用面接で最も印象に残るのは「こういう課題があって、このアプローチを試したがうまくいかなかった。そこでこの解決策を考え、実装した結果、こうなった」と問題解決のプロセス全体を説明できる学生です。
人間同士のコミュニケーション能力
AI時代こそ、人間同士のコミュニケーション能力が重要になります。特に技術的な内容を非技術者に分かりやすく伝える能力は、AIと人間の橋渡しをする上で不可欠です。技術ブログの執筆、プレゼンテーションの機会の獲得、異なる背景の人々との協働などを通じて、この能力を磨きましょう。
明日からの具体的なアクション
計画的偶発性理論に基づくなら、重要なのは「偶然の機会に気づき、活かすための行動」です。不確実性が高まる時代だからこそ、以下のような具体的なアクションを通じて、偶然を必然に変える力を養いましょう。
AIツールの実験と比較
様々なAIコーディングツールを使い倒してみることから始めましょう。これは単なるお遊びではなく、AIの本質と限界を理解するための重要な実験です。
GitHub Copilot、Cline、Cursor、など、様々なツールを同じタスクに適用し、それぞれの得意・不得意を体系的に記録してみましょう。これだけ変化が激しい世界で人生を賭けるのはリスクすぎる。「AI比較実験ノート」をつけることで、ただ使うだけでは得られない洞察を得ることができます。
重要なのは、AIを「答えをくれる先生」ではなく「一緒に問題を解決するパートナー」として位置づけることです。プロンプトを工夫し、AIの提案を批判的に評価し、改善を求め、最終的には自分で最適化するというサイクルを通じて、効果的な協働方法を見つけていきましょう。自分で手を動かしてない人のいうことはあまり信用しなくてよいです。
After Cline - あるいは語りえぬ者について語ろうとする時代について · GitHub
日記を通じた言語化能力の向上
TikTokやYouTubeを見る時間の一部を、日記を書く時間に変えてみましょう。たった5分でも構いません。現代の娯楽は文字どおり1分1秒を奪い合うレベルにまで特化していて、長い時間をじっくりかけて楽しむ娯楽は、かれらの目まぐるしい日々の暮らしのなかでそのポジションを急激に失いつつあります。そんな中で、日記を書くことには、多くの利点があります。
- 言語化能力の向上: 自分の考えや経験を言葉にする習慣がつくことで、コミュニケーション能力が自然と高まります。
- 自己認識の深化: 日々の出来事や感情を振り返ることで、自分自身の思考パターンや価値観に気づくことができます。
- 前向きな思考の促進: 特に「今日学んだこと」「今日感謝したいこと」などポジティブな視点を含めた日記は、心理的な健康にも良い影響を与えます。
- アイデアの整理と発見: 断片的な思考を書き出すことで、新たな関連性やアイデアに気づくことがあります。
日記のテーマとしては、「今日学んだ技術のこと」「気になる技術トレンド」「解決した問題とその過程」など、技術に関連したものでも構いませんし、「今日感じた感情」「未来の自分への手紙」など、より個人的なものでも良いでしょう。
重要なのは継続することです。スマートフォンのリマインダーを設定したり、就寝前の習慣にするなど、自分に合った方法で習慣化してみてください。
コミュニティへの参加と知識の還元
技術の学習や成長は、一人で行うよりもコミュニティの中で行う方が効果的です。AIツールを活用しながらプログラミングやプロジェクト開発に取り組む仲間と定期的に経験を共有する場を作りましょう。
また、学ぶだけでなく、自分の知識や発見を積極的にコミュニティに還元することも重要です。AIツールの活用で得た知見をブログに投稿したり、学内勉強会で発表したりすることで、自分の理解が深まり、新たな視点を得ることができます。
不確実性を受け入れ、偶然を活かす姿勢
この理論は、「明確なキャリアプランを持つな」と言っているわけではありません。むしろ、計画に固執しすぎず、予期せぬ出来事に柔軟に対応できる準備をしておくことの重要性を教えてくれます。
現代のように技術革新のスピードが加速し、不確実性が高まっている時代には、10年後の働き方を正確に予測することはほぼ不可能です。そんな中で「これが絶対の正解」と信じて一つの道に固執するよりも、様々な可能性に目を向け、偶然の機会を活かせるよう自分を準備しておくことが賢明でしょう。
「偶然は準備された心にのみ微笑む」という言葉があるように、偶然の出会いや機会を価値あるものに変えるのは、あなた自身の行動と姿勢なのです。
AI時代のキャリアにおいては、「これが正解」という単一の道筋はないでしょう。むしろ、好奇心を持って多様な可能性に目を向け、変化に柔軟に対応できる力を養うことが、長期的な市場価値を高める最も確かな戦略かもしれません。
完璧を求めすぎないことも重要です。提案した活動のすべてを同時に実行する必要はありません。自分の興味や強みに基づいて、できることから始めましょう。失敗を恐れず、様々なことに挑戦し、可能性を広げることこそが、予測不可能なAI時代に対応するための最良の準備となるでしょう。
結局のところ、この話の落としどころは極めて凡庸な結論に帰着します。不確実性を受け入れ、偶然を活かす姿勢といっても、最終的には「自分が選んだ選択肢を正解にするしかない」という単純な事実に行き着くのです。これは特別な知恵でもなんでもない当たり前の話かもしれません。しかし、この凡庸な事実こそが、急速に変化するAI時代において最も実践的な知恵なのかもしれません。どんなに理論を語っても、どんなに戦略を練っても、最後は自分の選んだ道を誠実に歩み、その選択に意味を見出し、自らの手で「正解」に変えていく努力以外に道はないのです。
おわりに
ここまで様々な観点からAI時代のエンジニアキャリアについてお話ししてきましたが、最後に少し本音をお伝えしたいと思います。
実は、この講演のタイトル「AI時代に市場価値を高めるキャリア戦略」を見たとき、少し困ってしまいました。このような強いタイトルのもとで講演するには、あまりにも重い責任を感じたからです。「市場価値を高める」などと言えるほど、私自身が確固たる答えを持っているわけではないですし、AIの進化は日々予測を覆しています。しかし、このタイトルが私自身への挑戦状となり、真剣に考える機会となりました。
率直に申し上げて、私自身もAIの急速な進化には戸惑いを感じています。現役エンジニアとして、これまで時間をかけて身につけたスキルの一部が、あっという間にAIで代替されていく現実は、正直なところ不安を覚えます。しかし、こうした変化の波に対しては、抵抗するよりも乗る方が賢明でしょう。私たちエンジニアは、望むと望まざるとにかかわらず、この技術革新の最前線に立っています。
ただ、この状況をむしろポジティブな視点で捉えることも可能です。今日お話した計画的偶発性理論は、私自身のキャリアを振り返った時に非常に納得感があります。実際、私のキャリアも「計画通り」には進まず、予想外の出会いや偶然の機会が、振り返ってみれば重要なターニングポイントになっていました。
例えば、趣味で始めたオープンソース活動が、思いがけず重要な仕事の機会につながったり、一見無関係に思えた副業プロジェクトでの経験が、後の大型プロジェクトで決定的な価値を持ったりしました。このような「計画できない幸運」は、実はキャリア形成の重要な要素ではないかと考えています。
最近の経験から、AIツールを積極的に活用することで興味深い発見がありました。当初は「自分の仕事が奪われる」という懸念を抱いていましたが、実際には単調な作業から解放され、より創造的な領域に集中できるようになったのです。コーディングの基礎的な部分や定型的なタスクをAIに委託することで、システム設計や問題の本質的な解決により多くの時間と思考を割けるようになりました。これは決して悪い変化ではないと感じています。
今、大学生の皆さんは、AIと共に成長する先駆的な世代です。困難も多いでしょうが、それだけ新しい可能性に満ちた時代でもあります。皆さんが構築するエンジニアとしてのキャリアは、私たち世代のものとは大きく異なるかもしれませんが、それはより創造的で多様な可能性を秘めていると確信しています。
皆さんのキャリアが、AIとの創造的な協働を通じて、より充実したものになることを心から願っています。本日はありがとうございました。
最後になりますが、今お話したような「AIと共に成長するエンジニア」を私たちの会社でも募集しています。本日の内容に共感いただけた方は、ぜひよろしくお願いします。