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本能を呼び覚ますこのコードに、君は抗えるか

技術広報はちゃんとなめてやれ(技術広報をなめるなを読んで) 

この記事は、whywaita Advent Calendar 2025 8日目のエントリ記事です。

whywaita Advent Calendar 10周年ということで、自分もwhywaitaとの出会いと10年という節目を掛けて何か書きたいと考えたのですが、うまいネタが思いつかず。とはいえ、whywaitaと出会ったきっかけがお祭り的な技術イベントだったので、今回は技術イベントの「お祭り性」について語っていきます。

思い返すと、技術コミュニティとの出会いは、いつもお祭りのようでした。見知らぬ人と技術の話で盛り上がり、気づいたらとんでもない深い時間になっていた懇親会。準備段階から当日まで、ワクワクしながら作り上げた勉強会。あの空気感こそが、私をエンジニアとして成長させてくれた原動力でもありました。

そんな私が最近読んで、考えさせられた記事があります。

はじめに

Sakutaroさんが書かれた「技術広報をなめるな」を読みました。

note.com

Sakutaroさんの主張をこの記事で使うために要約すると、技術広報とは「技術に関する情報流通を最適化すること」であり、採用やブランディングにじわじわ効いてくる組織の筋肉である、ということです。片手間でやるものではなく、専門性を持って取り組むべき重要な機能だと。その主張には100%同意します。技術広報を軽視する組織への警鐘として、価値のある記事でした。詳しくは読んで下さい。

ただ、読み終わったあと、ひとつ気になることがありました。

「なめるな」と言われて、真面目に取り組んだ人は、どうなるだろう。

技術広報の重要性を理解した。だから本気で取り組んだ。毎週ブログを書き、登壇の機会を作り、勉強会を企画した。でも、半年後、1年後、その人はまだ続けているだろうか。

私が見てきた現実では、真面目に取り組んだ人ほど、燃え尽きていく。「技術広報は大事だ」と理解しているからこそ、手を抜けない。手を抜けないから、疲弊する。疲弊するから、続かない。続かないから、また新しい誰かが「大事だから」と引き継いで、同じサイクルを繰り返す。

ここで断っておくと、私は専任のDevRelや技術広報をやっていたわけではありません。エンジニアとしてブログを書いたり、登壇したり、勉強会を企画したり、そういう活動に参加してきた側です。だから以下は、「現場で技術広報に関わってきたエンジニア」としての個人的な意見です。Sakutaroさんへの反論や批判ではなく、同じテーマを別の角度から眺めてみた、という試みです。

Sakutaroさんが「技術広報の重要性」を語ったのなら、私は「技術広報の持続可能性」を語りたい。Sakutaroさんが「なめるな」と言ったのなら、私は「ちゃんとなめてやれ」と言いたい。

「なめる」というのは、軽視することではありません。肩の力を抜いて、それでも真剣に向き合うこと。重く構えすぎず、軽やかに、本気で楽しむこと。そういう姿勢を指しています。

この記事で言いたいのは、技術広報を「お祭り」として捉え直すことで、どう持続可能な形に設計できるか、という話です。


「技術広報を続けられない」のは、個人の努力不足なのか

技術広報が続かない。ブログの更新が止まる。勉強会の開催頻度が落ちる。登壇者が見つからない。こうした現象を見たとき、私たちはつい「担当者の努力が足りない」「モチベーションの問題だ」と考えがちです。

でも、本当にそうでしょうか。

私が見てきた限り、技術広報に関わる人は真面目な人が多い。「会社のためになる」「エンジニアの成長につながる」と信じているからこそ、時間を割いて取り組んでいる。努力が足りないのではなく、むしろ、努力しすぎて燃え尽きている。

つまり、個人の努力ではなく、構造に原因があるのではないか。

技術広報を「重要な業務」として位置づけるほど、プレッシャーは増す。「会社の顔としてふさわしい記事を」「PVやシェア数で成果を示さないと」「毎月コンスタントに発信を」。こうした期待は、真面目な人ほど重く受け止める。

結果として、技術広報は「楽しいからやる」ものではなく「やらなければならない」ものになる。義務感で動く活動は、長くは続きません。

だから私は、技術広報を「お祭り」として捉え直すことを提案したい。


技術広報を「お祭り」として捉えたとき、何が変わるのか

「お祭り」と「業務」の違いは何か。

業務には、目標がある。KPIがある。期限がある。評価がある。達成できなければ、失敗になる。

お祭りには、もちろん準備や段取りがある。でも、本質は違う。非日常性があって、ワクワクして、参加は自由で、失敗しても笑って済む。みんなで作り上げる。終わったあとに「楽しかったね」と言い合える。

思い出してみてください。あなたが「楽しかった」と感じた技術イベントには、何がありましたか。KPIはなかったはずです。評価もなかった。ただ、技術の好きな人たちが集まって、ワイワイやっていた。それだけで、あの場は価値があった。

技術広報を「業務」として捉えると、タスクになり、KPIになり、疲弊の原因になります。でも「お祭り」として捉えると、楽しみになり、創造性の源泉になり、持続可能な活動になる。

もちろん、会社という組織なのでKPIは必要です。数字で語らないと理解されないこともある。大人ですから、建前として必要なものは必要です。でも本音の部分では、お祭りなんです。

Sakutaroさんは技術広報を「技術に関する情報流通を最適化すること」と定義しました。私はその定義に異論はありません。ただ「情報流通の最適化」という言葉は正確ですが、人を動かす力は弱い。「今月の情報流通を最適化しよう」と言われても、イメージが湧かない。でも「お祭りを企画して盛り上げよう」と言い換えると、途端にイメージが湧きます。

人は「最適化」という目標には動きにくいけど、「お祭り」という体験には参加したがるんです。

そして面白いことに、良いお祭りを企画しようとすると、自然と「情報流通の最適化」が達成されます。読みたくなるブログは情報が届く。参加したくなる勉強会は知見が共有される。面白いカンファレンスブースはブランドが伝わる。

お祭りが楽しいのは、予定調和じゃないからです。神輿が予想外の方向に進んだり、知らない人と急に仲良くなったり、思いもよらない出来事が起きる。その「意外性」がお祭りの醍醐味です。技術広報も同じで、完璧に計画されたブログより、思いつきで書いた記事がバズることもある。意外性こそが人の心を動かします。

でも、意外性は余裕がないと生まれません。タスクに追われている人に、遊び心は出てこない。「やらなきゃいけない」という義務感からは、「やってみたら面白かった」という発見は生まれない。だから、技術広報には「精神的な遊び」が必要です。お祭りを「業務」として100%真面目にやると、それはもはやお祭りではなくなります。


参加の形は、ひとつじゃない

お祭りには色んな参加の仕方があります。

神輿を担ぐ人もいれば、屋台で焼きそばを売る人もいる。踊る人もいれば、見ているだけの人もいる。写真を撮る人も、SNSで実況する人もいる。ゴミを拾う人も、場所取りをする人もいる。どの参加の仕方も、お祭りの一部です。

技術広報も同じです。記事を書く人だけが貢献者ではない。

レビューする人も貢献者です。アイデアを出す人も貢献者です。社内で記事をシェアする人も貢献者です。「この前のあの話、ブログにしたら面白そう」と声をかける人も貢献者です。登壇者の練習に付き合う人も貢献者です。

「ブログを書いてもらえない」「登壇してもらえない」と悩んでいるなら、視点を変えてみてください。「書いてもらう」「登壇してもらう」以外の参加の形を、用意できているだろうか。

神輿を担げる人は限られています。でも、お祭りを楽しむ方法は無数にある。担ぎ手だけがお祭りの参加者ではないんです。

「ブログを書いてください」ではなく「先週のSlackでのやり取り、そのままブログにしませんか。私がタイトルと導入書きますよ」。「登壇してください」ではなく「5分のLTでいいので、この前の話をしてくれませんか」。

義務ではなく、招待として。「ブログ書いてください」はお願い(義務感)。「ブログ書きませんか」は招待(選択肢)。この違いは大きいんです。

あなた自身は、どうでしょうか。技術広報にどんな形でなら、無理なく関われそうですか。


「怒られない範囲」は誰が決めているのか

お祭りにも「やっていいこと」と「やってはいけないこと」がある。技術広報も同じです。

失敗談を書け、人間臭さを出せ、と言われても、リスクが怖い。その懸念は正しいです。だからこそ、「怒られない範囲」を見極める力が必要になります。

ただ、その「怒られない範囲」は、誰が決めているのでしょうか。

明文化されたルールがあるのか、暗黙の了解なのか。上司が決めているのか、広報部門が決めているのか、法務が決めているのか。あるいは、なんとなく「空気」で決まっているのか。

多くの組織では、「怒られない範囲」は明確に定義されていません。だから、発信する側は常に不安を抱えることになる。「これ、出していいのかな」「怒られないかな」。その不安が、発信のハードルを上げている。

社内的にはOKだけど、社外的にNGになるケースがあります。「技術的には正しいけど、今その話題は炎上しやすい」という場合です。社外的にはOKだけど、社内的にNGになるケースもあります。「業界では普通の話題だけど、うちの会社ではタブー」という場合です。

「怒られない範囲」を見極める能力とは、社内外の文脈を読む力です。これは経験を積むことでしか身につきません。小さく発信して、反応を見て、学んでいく。

でも、もし組織として技術広報を続けたいなら、「怒られない範囲」を個人の判断に委ねるのではなく、組織として明確にする努力が必要ではないでしょうか。「ここまではOK」「これはNG」「迷ったらこの人に相談」。そういった指針があるだけで、発信のハードルはぐっと下がります。

あなたの組織では、「怒られない範囲」はどのように決まっていますか。誰が決めていますか。それは明文化されていますか。


持続可能にするために

最後に、どうすれば技術広報を続けられるのか、という話をします。

技術広報に関わる人が陥りがちな罠は、自分一人で全部やろうとすることです。ブログの企画、執筆依頼、レビュー、公開作業、SNSでの拡散。全部一人でやると、短期的には回ります。でも、長期的には崩壊します。

お祭りは、主催者一人では成立しません。屋台を出す人、演奏する人、ゴミを拾う人、写真を撮る人、SNSで拡散する人。みんなが違う形で参加して、初めてお祭りは盛り上がります。

「一人が100やる」のではなく、「10やる人、5やる人、1でも協力してくれる人を探す」

これが持続の秘訣です。

例えば、こんな工夫ができます。月に1回「ブログネタ出し会」を30分だけ開く。Slackに「こんな話をブログにしたい」と投げるだけのチャンネルを作る。「書けそうな人」ではなく「話が面白かった人」に声をかける。小さな仕組みを作っておくだけで、協力者は見つかりやすくなります。

そして、もう1つ大事なこと。人間には波があるということです。

10やれる時期もあれば、5しかやれない時期もある。1すらもやれない時期もある。プロジェクトが佳境に入っている時期。体調を崩している時期。家庭の事情がある時期。メンタルが落ちている時期。

これは恥ずかしいことでも、甘えでもありません。人間だもの。

「去年できたから、今年もできる」という思い込みこそが、燃え尽きの原因なんです。10やれる時は10やる。5しかやれない時は5でいい。やれない時は、休む。

大事なのは、この「波」を組織として受け入れられているかどうかです。

「先月は3本記事を出したのに、今月は1本もない。どうしたの」というプレッシャーがかかるなら、それは持続可能な仕組みとは言えません。「今月は厳しいので、来月がんばります」と言える文化があるかどうか。

あなたのチームでは、パフォーマンスの波を受け入れられていますか。「今は無理」と言える空気がありますか。


おわりに

冒頭で書いた通り、私とwhywaitaの出会いは、お祭り的な技術イベントでした。あの場には「情報流通の最適化」なんて言葉はなかった。ただ、技術の好きな人たちが集まって、ワイワイやっていただけです。

でも、今ならわかります。私がワイワイと参加していたあのイベントの裏側には、真面目に予算を集めてきた人がいた。色んなステークホルダーの合意をまとめてきた人がいた。会場を押さえ、スケジュールを調整し、トラブルに備えていた「ちゃんとした大人」がいた。

私はその恩恵を受けて、楽しんでいただけだったんです。

10年経って、そのことがようやくわかるようになりました。いずれ自分も、あの「ちゃんとした大人」の側に回らなければならない。恩返しをしなければならない。その自覚はあります。

でも、それでも。いや、だからこそ。

次の世代の人たちには、お祭り感を味わってほしい。「裏側の苦労」を見せずに、「楽しかったね」と言ってもらえるイベントを作りたい。真面目に準備しながら、参加者には「お祭り」として届ける。それが、私なりの恩返しの形だと思っています。

技術広報に関わるすべての人へ。疲れたら、休んでください。無理したら、倒れます。真面目すぎたら、続きません。でも、楽しさだけでも続きません。楽しさと、仕組みと、仲間が必要です。

もしあなたが今「何もやれない時期」にいるなら、それでいいんです。休んでください。お祭りは、また元気になってから参加すればいい。技術広報は、あなたがいないと回らないほど脆弱なものであってはいけない。でも、あなたがいると、もっと楽しくなる。それくらいの距離感がちょうどいい。

10年前のあの日、技術イベントで会った人と、今もこうしてAdvent Calendarで繋がっている。これこそが、お祭り駆動の技術広報の成果です。

どこかのカンファレンスの懇親会で会ったら、お祭りの話をしましょう。

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